選挙

明日はまた、
選挙です。

また、選挙です。

私もまた、選挙会場のお手伝いに行きます。

寒いかもしれないのでタイツを履いて行きます。

雨かあ。

# by thuchinouta | 2017-10-21 20:58 | diary | Comments(0)

秋の山野草展

2017秋の山野草展
今年も岡本充史さんの作品が並びます。
丹精込めて育てた山野草をお楽しみ下さい。
10月30日(月)-11月2日(木)
米ギャラリー大手前にて
10:00-16:00
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アラゲナツハゼ

# by thuchinouta | 2017-10-20 00:00 | gallery土の詩 | Comments(0)

2017年10月のお品書き

10月です。
今月もよろしくお願い致します。

お豆さん
きゅうりの酢の物
つるむらさきのおひたし
新生姜のつくだに
さつま芋の茶巾包み
きのこのバター炒め
レンコンの梅肉和え
冬瓜煮
焼きなすの生姜あん
柿の白和え
なすの糠漬け
だし巻き玉子
里芋の揚げ田楽
かぼちゃの春巻き
みそ汁
飲み物とデザート

1620円です。

お問い合わせ : 079-261-4612 です。
皆様のお越しを楽しみにお待ちしています。



# by thuchinouta | 2017-10-19 23:59 | 米ギャラリー大手前 | Comments(0)

しっぺ

この頃小2の長女は、
ぬいぐるみなどをたくさん並べて一緒に眠ります。

それで私は言いました。
「ぬいぐるみたちのベッドがあればいいのにね。」

その一言が長女の心を射抜きました。
それからと言うもの、
ベッドはこんなふうで、
二階建てで、
二階に行く階段も付いていて・・・と
想像を膨らませていました。

そして私は言いました。
「おじいちゃんに聞いてみる?」

なんていい考え!
そう思った長女はじいじいに
これこれしかじか。
木の箱をたくさんもらって帰ってきました。

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すると今度はお父さんが
二階建てのベッドに変身させました。
納屋にあった青いペンキを塗りました。
「御数珠」と書いてあったのがきれいに消えました。

次の土曜日には、
じいじいにフェルトを買ってもらい、
ふとんを作りました。
ぬいぐるみの服も作りました。

そうしている間中、
長女はじいじいに、
「お父さん。」と呼びかける。
じいじいは長女に
「ゆうこ。」と呼びかける。

ゆうことは、じいじいの娘の名前です。
長女はじいじいの孫です。

お父さんじゃなくて、おじいちゃん。
ゆうこじゃなくて、しあこ。

二人でそういい合って作業を続けます。
リラックスしているからか、
またすぐに呼び間違いをするのです。

「あ、また間違えた。」
「おじいちゃんが先に間違えた。」
「ごめんごめん。」

こんな会話を繰り返し、とうとう、
「今度間違えたら、おててにしっぺ、ナ。」

じいじいが間違えたら長女がじいじいの手にしっぺ。
長女が間違えたらじいじいの手にしっぺ。

夕凪の日だまり。
そんな風景。

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# by thuchinouta | 2017-10-19 23:56 | diary | Comments(0)

へびカラ

1週間ほど前のお弁当。
何だかよく分からないですが、
かなり適当に作ったもののようですね。
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お弁当できたし、さあ、出発!
と言うところで長男が調理を始める。
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なんで今!?
と思うのですが、この背中が物語るように、
誰の言うことも聞こえない・・・。
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唐揚げを。
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揚げ過ぎだと思うのです。
こんなに小さくなって・・・。
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皮はきれいに展翅。

学校には間に合いました。
きっとお友達が、新作唐揚げを待っているのでしょう。

勉強の息抜きにしてはちょっとヘビーな遊びです。
この人をうまく飼い慣らしてもらえるところに
早く合格して欲しいです。



# by thuchinouta | 2017-10-19 23:30 | 今日のお弁当 | Comments(0)

稲架けや

稲架けや 日向の匂ひ 残しけり

一鴻

# by thuchinouta | 2017-10-19 09:17 | haiku | Comments(0)

今日のお弁当?

昨日のおはなし。

台所にお弁当箱が二つ置いてありました。
洗おうと思って蓋を開けると
一つは空っぽ、
一つは、一口も食べずに残っていました。

「あれ、誰かお弁当食べてない!
きっと時間がなくて食べられなかったのね、
かわいそうに。」
と私が言うと、夫が、
「じゃあボクが食べるわ。」
と言ってお弁当を食べました。

最後の一口というところまで食べてふと、
「今日のお弁当って、こんなんやったっけ?」
と夫が言うので、
「えっ!?あっ!違う!」
「これ、昨日のやなあ?」
「昨日のやん!」
「んー、何か味がおかしいと思った・・・。」

誰か前日のお弁当を食べずに学校に置いたままにして、
当日のお弁当はちゃんと食べて、
二つまとめて台所に置いていた・・・

いつも3つ作るので、
4つお弁当箱が置いてあったらおかしいなとすぐに気が付きますが、
2つだったので、おかしいと思わなかったのです。
しかも普段よく使うお弁当箱が6つ7つとあるので、
どれがどれだか分からないのです。

さて、犯人は誰だったのか。
この話をして、一番笑ったヤツが犯人だ。
あ、長男の顔が一番ゆるんだ。

しかし一番笑えるのは、
お父さんは全く今日も元気に仕事に行ったということです。





# by thuchinouta | 2017-10-19 09:14 | 今日のお弁当 | Comments(0)

おかあさんねこ

中学2年生、
私の三男と同じ年齢です。

宿題、学校生活・・・

ひとつのいのちが消えてしまったことは
とてもさみしいです。

もしも私がおかあさんねこなら、
その子の顔から足の先まで
毛づくろいするみたいに
ぺろぺろきれいにしてあげたいです。
それから一晩一緒にいます。

朝になったら戦います。
戦って、散ります。
散るしか、ないような気がします。

学校への恐怖、
追い立てられる気持ちから抜け出られないあせり、
心を無に保つことの限界、
がんばりたいけど体がついてこないもどかしさ、、
大人はきっと間違いなんて言わないと信じたい、
だとしたら悪いのは自分だ。




先生方は案外
闇の中で手さぐりしながら日々をお過ごしのことと思います。
せめてものお願いがあります。
闇の中にいるのだということに気が付いてください。
気が付いていただけるだけで私たちはとてもうれしいです。
そして、見えますか?
闇の奥にぽつんと光ってみえる小さな出口。
その光に包まれることは、闇を抜けた証。
だけどそれは、残念ながら蛍光灯の光なのです。

本当は、太陽の光の下で、
子ども達を育てたいと、
思っています。


蛍光灯の光?
太陽の光?
何それ、
たわ言に付き合っているヒマはないと
言われそうですが、
経済効果を見越して買い替え必要に作られている人工の光を
生産し続けるちょっとした狂気を、思うのです、
持続可能で生命の源である太陽の光とは、決定的に違うのです。




# by thuchinouta | 2017-10-16 23:19 | diary | Comments(0)

願書

なぜブログが書けなかったかというと、
なぜでしょう。

傍観者ではなくなっていたからとか
当事者になっていたからとか
そう言う事かもしれません。

長男がAO入試を受けることで、
必要書類を用意して明日ポストに投函予定です。

受験に関しては応援はするけど
どこか人ごととして捉えてましたが、
いざとなると、
文章の校正をして欲しいとか入金手続きとか
私を頼ってきてくれたりするので
俄然カーチャンは張り切るのですね。

目の端にほんの一瞬、
子供の姿が見えただけで
いまトイレに行きたがってる、
それも大か小かも分かってしまう、
そんなストーカーママの
日頃はあえて消している火を再びつけた我が息子よ。
お任せあれ!

ということで、
いや実際には大してできることはないのですが、
頼られたが最後、
先生とのやりとりの作戦から書類作成まで、
相談しながら過ごしました。

書類添付用の写真はデータで取り込むので、
写真撮影会もしました。

生き生きしたホヤホヤの顔を撮るために
近所をジョギングして
帰宅したらすぐ顔を洗って
ふあーさっぱり!
そこへ家中の電気スタンドを集めてライトアップし、
撮影。
いいねいいね、もっとあご引いて~
もうちょっと頭を右に~
とかいいながら爆笑。

やっと明日ポストに投函までこぎつけました。


AO入試とは
学力はちょっと足りないけど、
そのことがそんなに好きなら入学させてあげましょうという入試です。
長男は自然環境学です。

でもめったには合格できないでしょうから、
一般入試のための勉強をメインに考えておかないといけないそうです。
ちょっとした挑戦、
積み上げてきた大切なこと、
どちらに転んでも「失敗」ではないです。



今日は赤穂で三男の剣道大会!
いけない、遅刻だ、行ってきます。
この頃三男絶好調。

# by thuchinouta | 2017-10-14 06:03 | diary | Comments(0)

おはようございます

お話したいことがたくさんあるのですが
目の前に現れるもろもろを
後追い後追いで片付ける毎日。

靴下などは歩きながら履くのですよ。

お弁当も生活も、
「とりあえず今日はこれで致し方ない。
いつか立派にこなせるようになろう。」
とその場をしのいでいます。

しかしよく考えると
その積み重ねが人生であり子育てなのだと
冷静に考えた時に覚える
ちょっとしためまい。
あはははー

これがわたしなのだー
れれれのれー

# by thuchinouta | 2017-10-11 09:29 | diary | Comments(0)

毬栗や

毬栗や 落ちてまろびし 秋の声

一鴻

# by thuchinouta | 2017-10-11 09:23 | haiku | Comments(0)

体育大会

今日は中高の体育大会でした。
テントの下は肌寒いくらいでしたが
しっかりと、晴れ!

高校生や陸上部の子が走る姿は圧巻です。
すごいなあ!
走るってかっこいいですね。

うちの三兄弟は三人とも
200m×4人のリレーに出場していました。

これは、とっても早く走れる訳ではないけれど、
尻込みする人が多い中、じゃあボクがやります、って責任感でもって参加するか、
すごく足の速い子はスウェーデンリレーに出場するのだけど、
そこに出るほどの速さじゃないけど
体力テストの100m記録で上から順に当てはめるとそうなったとか、
そういう感じです。
受身で断るということができずその割にはちょっと格好しいで
能力的にも中間なうちの子らしいと言えるかなあ。

部活動行進では三男、プラカードを持って先頭で行進。
そう言えば部長さんだった!
思わぬ勇姿にちょっと癒されましました。

障害物リレーやフォークダンスにも参加していて、
家とはまた別の顔を見ることができました。

高校から入学してくる生徒がたくさんいるからかな、
ほどよくバランスがとれていて、
生徒は生き生きしているし。
いい学校だなあと思いました。

リレー競技でスタート時のフライングが度々ありましたが、
その度にそれは進学に熱心に取り組むクラスの子だったりして、
ちょっと面白かったです。
やる気というか、勝つということにすごく前向きなのですね。
だから、勉強もやる気だ、負けん気だ!と言うつもりは全くなくて、
ただ一言、興味深い。

秋空の下、
さわやかな生徒達の青春の姿を見て、
熱心に立ち働く先生方の姿も見て、
知り合いの方とのおしゃべりも満喫し、
何だか普段一人で考えていることがほんのちっぽけなことのように思いました。
先生ともお話しようかなあと思いましたが、
いや、私の考えていることなんてほんと下らないと感じたりして。

しかしまあ、
それが集団の良いところであり、落とし穴であり。
個が思うことが存在していて悪いわけでもないわけで。
多に巻き込まれて消さないよう、消されないよう、
やっぱり普段じんわり感じていることはそれはそれで本当のことだから。

部活の後輩ママとおしゃべりしていて、
テント下の椅子の席に案内してもらったのですが、
しばらくして気が付きました。
そこは、
三男から禁止されていた
朝礼台付近だったのです。

ばっちりダンス、見ることができました。
でも、学校お休みしていたし、
恥ずかしい年頃だし、
隣りの友達のすることを真似して踊るから
ワンテンポずれたタコ踊りみたいでした!


一日全力を出し切って、
だけどやっぱり夜は塾。

相生駅へ送る途中に車がヘンな感じ。
パンクしてる?
・・・
パンクしてる!?
・・・
いや絶対パンクしてる!

してました、タイヤ。

すぐに夫が来てくれて、
地面に這いつくばって直してくれました。
次男も自分のことのように一生懸命お手伝いしてくれました。
ボルトを締めるのは対角線上で一つ一つ締めていくと教えてもらって
へーなるほど。

夫、
私の服装、アクセサリ、
人付き合い、お金の使い方、
何から何までアドバイス(口出し?)するタイプなのですが、
こういうときは何も言わずいつも無言でもくもくとしてくれます。
その後も、
なんでああなったんだとかややこしいことは一切言わないでくれるし、
私が疲れないように気を遣ってくれるし。
いい人なんだな。

妊娠してるときに気分が悪くなって変なところに吐いてしまっても、
その中に手を突っ込んで瞬く間に片付けてくれたこともあったのでした。
そういうのを見たらすごいなあって思います。

さあ今日は大きな行事を無事終えて、
タイヤも無事交換できて、
だけどここでほっとしたらいけないのです。
今日がまた、スタートです。
気を引き締めて明日からまた・・・!




# by thuchinouta | 2017-10-05 21:24 | diary | Comments(0)

坂道を

坂道を立ち漕ぎで届きそうな雲

「お父ちゃんが入って海大きくなった!」

まんまるい 月が出た出た 城隣り

肩車して串団子のやふな影

哲舟

今年の秋も、素敵な「父ちゃん」の思い出が重ねられていきますね。
ひとコマひとコマ、
しっかりと心に刻み付けて・・・
きゅーっ


# by thuchinouta | 2017-10-05 20:36 | haiku | Comments(0)

今日のお弁当

今朝お弁当を作って学校へ送って、
帰宅したらお弁当が一つ、
机の上に置いてある。

ひとりお弁当を持っていくのを忘れてる!
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がっかり。
腹が立つというのでもなく。
朝からばたばたっと用意して、
みんな元気に学校へ行ったと思ったのに、
お弁当を持っていくのを忘れたとなると、
この朝の一連のことが大失敗だったような気がして、
改めて我に返る。

お店に行って、
みんなにそのことを報告すると、
僕が学校に届けに行く!と、じいじい。
いや、忘れ物を届けるのはあまり歓迎されないし、
本人も恥ずかしいだけだから、と断ると、
そうか・・・と。

午後になって、夜用のお弁当のためのお弁当箱を家に忘れたと思って取りに帰り、
ぽつんとひとつ取り残されたそのお弁当箱を
何気なく持ち上げてみると、軽い!
軽い?
明けてみるとそれは昨日の食べ終わったお弁当箱!
かばんから昨日のを出して、
今日のをかばんに入れたのですね。
今日のお弁当はみんな持っていってたのです。

一体誰がお弁当箱を出していなくて、
何個お弁当箱を洗ったのか、分からない・・・。

とにかく、夜のお弁当。
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今日はさつま芋と豚肉の春巻。
豚肉をすごく濃い味に炒めてさつま芋と混ぜて巻き巻き。
おいしい!


夜は地区の観月会でした。
満月でした。

長女は先生に言われたとおり、
着物を着てお運びのお手伝いをしました。
くるくる目が回るほど何度もお菓子とお茶を運びました。

ソプラノ歌手の歌とお琴の演奏会が催され、
たくさんの方が来場されました。

長女は、歌はちらっと会場をのぞいてすぐに戻って来ましたが、
お琴の演奏は椅子に座ってかじりつきで観ていました。
ドレスを着て歌を歌うことより、
袴姿で琴を弾くことのほうが興味があるようです。
前からお琴を習いたいと言っているのですが、
今日の様子を見て、ほんとに興味があるんだなあと。


明日は中高の運動会。

さきほど10時に塾へ迎えに行って
帰宅して10時半。

ゼッケン縫うから体操服出して、と言うと、
「えっ!?してくれるん?ラッキー!今から洗濯するわ!」
と言うので、
その言葉だけでまあいいかと。
自分でしようと思ってただけ、救われる。

明日何か競技に出るの?と聞くと、
見に来なくていい。
恥をかくだけやから、と。
長男三男、200×4リレーに出るみたいです。

朝礼台の方からは絶対に見んといてな。
ボク朝礼台の前でダンスするから。
と三男が言うので、
分かった、朝礼台ね、
朝礼台は、やめとく、と。

見に来て欲しいのか欲しくないのか、
良く分からないけど、
明日になったらストーカーママ、
朝礼台の辺りにいるかもです。


部活動リレーでいつものごとく
剣道部は胴着袴で走るから、
剣道着を一応洗濯したいと持って帰ってきて、
自分で洗濯して干してました。
乾くかなあ。
一応扇風機を強で当てておいてやりました。

剣道着は昔は本当の藍染めだったからか、
いくら臭くても、洗わないのが慣わしです。
すごく汗をかくのに、使用後は干すだけ。
だからいつも生乾きで臭い。

部室に幽霊部員が置いたままにしている胴着などは、
緑色の毛の長いカビが生えていたりして、
そんなこと、みんな気にも留めない・・・。

でも今どきの剣士は、というかお母さんは
あの匂いに我慢ができず、
芳香剤入りの洗剤でばんばん洗うようです。

生地も木綿ではなく化繊のものも多いし、
染めも学生は本藍染めではなく、
化学染料のものが多く、
安価で、色落ちがしにくい。
そういうこともあり、
最近は、剣道着を洗うことに抵抗がなくなっているようです。
上段者の方はもちろん本藍染めの、
見るからに上質な生地の胴着を着ていらっしゃいます。

三男は、薄手の白い木綿生地に黒の刺し子がしてある胴着がお気に入りで、
小学生の間は高学年になってもずっとそれを着ていましたが、
中学生になってからはさすがに紺の厚手の丈夫な綿生地胴着に変えました。
白地に黒の刺し子は幼児初心者向けなのです。
袴はしわになりにくく、乾き易い化繊混合の化学染料藍染めです。
今まではお腹のところでぎゅっと締めていましたが、
中学生になってからは、腰で袴を履くことを覚えたようです。
なんのこっちゃ。
だらだらと書き連ねてすみません。
わたしもそろそろ眠らねば・・・。



# by thuchinouta | 2017-10-05 00:42 | 今日のお弁当 | Comments(0)

一つまみ

一つまみ 新米の香や 今朝も晴れ

一鴻

# by thuchinouta | 2017-10-04 08:42 | haiku | Comments(0)

今日のお弁当

今日のお弁当
朝。
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じゃが芋と人参の炒めたの
ほうれん草と玉ねぎの卵とじ
ちりめんおかか
ウインナー

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これは夜用のお弁当
ほうれん草と玉ねぎの卵とじ(朝の残り)
さつま芋の豚肉巻きの甘辛炊き
里芋の素揚げ
れんこん
きゅうりのお漬物

長女もお弁当を食べたいというので四つ。

ただ、今日は他にやることがあるから
塾へは誰も行かないと言うので
お弁当はおやつ的な存在となり、
これを食べてから晩御飯も食べました。


22歳だったか、ラスベガスに、一度行ったことがあります。
カジノにも興味がないし、
華やかなものにも興味がないし、
なぜ行ったのかよく分からないのですが。

不思議なところだなあと思いました。
なんっにもないところに娯楽の都市を作るということが、
本当に不思議でした。

外部から娯楽を目的に来る人がたくさんいます。
だけどそこには住民もたくさんいて、
日々の生活がやっぱりあるのです。
人の数だけの人生劇場が繰り広げられている。
そこに住んでいる人は人が作り出す「しかけ」の中で働いている。
バブルのような世界の中で、
夜が明けて、ゴミを出して、子どもを送り、笑って、ケンカして、お葬式があったりして。
そういうことが、未来的なようにも思えず、
ただ不思議でした。

ビルの中を歩けば突然サーカスが始まるし、
白いライオンが寝そべっているし。

ラスベガスを楽しめない私は
高校野球を楽しめない私と同じかなあ。

ちょっと足を伸ばして
グランドキャニオン、
これは、やはりすごかった。
そうか、目的地はグランドキャニオンだったのだ。

とりあえず、ラスベガスでどうしてもしたかったことは、
うどんを食べることでした。
うどん、おいしかったなあ。

でもいくらおいしかったからって、
それが人生最後のうどんってことには
なりたくないなあ。
それは悲しいです。

# by thuchinouta | 2017-10-03 20:34 | 今日のお弁当 | Comments(0)

うわばみ

小学校高学年になった頃かなあ。
学校から帰ってきた長男が、
不思議そうに、
「○○くんのお母さん、
○○くんのゲームを壊したんやって。」
と言うのです。

どういうこと?と聞くと、
「お母さんが○○くんに、クリスマスプレゼントでゲーム機をあげたのに、
あげたお母さんが、そのゲーム機を壊したん。おかしくない?」

はー。
時代の流れで良かれと思ってゲーム機を息子にプレゼントしたけど、
息子はゲームにのめりこみ、
際限なく没頭するから、
お母さんは我を忘れて息子の前でゲーム機を真っ二つに折って壊したと。
そういうことね。

ゲームもテレビもない生活を送っていた長男は
それらを当たり前のように持っているお友達のことを
うらやましいなあと思っていたと思います。
それで、この話題にすごく興味を持ったのでしょう。
星新一ばりのショートストーリーが成り立つ依存の世界に
おかしさと悲しさを感じたのでしょう。


残念なことに、これはあるひとつの家庭のみで起こることではないのでしょうね。


ある資産家さんが、こんどはどの株に投資しようかなあと考えます。
ある日、仲のよい資産家仲間から電話が。
「教育に、投資してみない?」
聞けば、タブレット学習は不登校や貧困家庭援助にもなる画期的な教育方法で、
弱者を助けつつ、それが投資にも繋がる夢のようなシステムらしい。
とにかくタブレット端末をすみずみまで行き渡らせるとそれ相応の報酬があると。
「なるほど。それは新しい。時代の波に乗ってるね。」
ということで投資開始。
たまに仲間と投資状況報告がてら海外旅行を満喫。


こんなことが社会生活でも学校でも起こるわけなのです。
だって、タブレットやアプリを日本全国の小中高校生にもれなく買ってもらう(税金で負担する)と、
莫大なお金が動くわけです。
ゲーム機もスマホもほぼ行き渡りましたからね。
もしかしたら外交問題の緩和にもつながるとか?

そのためには、
プレゼンテーション!

いかにタブレット教育はいいことなのか!
貧困を助けるか!
不登校をサポートするか!

(こういう、
黒を白に言い変える能力を育てることを、
コミュニケーション能力の向上を目指しますと、
教えるのでしょうか。
残念なことです。
いや、実際に良い面もあるのですが、
この話の流れとして、です。)


文科省がこのプレゼンにいたく感動すれば、
日本全国がタブレット販売市場です。
ばんざーい。

生徒は根元を知りませんから、
素直に適応します。
中毒患者激増!

やりすぎると取り上げるぞ!
何だと~!?
ぼかん!

それで身を滅ぼしていくって、
けなげですね。

お国のために散っていくわけです。
経済戦争の中で。

先生、子ども達を死なせないで。
お母さん、お父さん、おじーちゃん、おばあーちゃん、
子ども達を守ってください。

経済は循環していかないと戦争に負ける。
だけど、子どもを犠牲にしてはいけないのです。

警察へ行くのではないのです。
依存症を丁寧に直してやらないといけないのです。
社会の先生だったら、
社会とはこのようになっていると教えてやらないといけないのです。
机の上に置いてある教科書じゃなくて、
今自分達が置かれている状況が、社会なんだって。

この経済戦争の中で、
キミ達にしてやれることは何だろう。
いつもそう思ってる。
教科書を暗記して進級進学することが最善ならもちろんそれを助ける、
しかしそうじゃない何かがあるなら教えてくれ。
丸金至上主義教育(今思いついた造語。イヤミに輝く金メダルをイメージしてください。)
といううわばみに飲み込まれない方法を
共に考えようじゃないか、諸君!
しかし、何があっても、
暴力という生々しく熱いコミュニケーション方法は、いけないよ!



秋空に降る長雨に、
白昼夢のような
青春劇を見たのでした。



# by thuchinouta | 2017-10-02 20:50 | diary | Comments(0)

今日のお弁当

朝のお弁当は最近写真撮っていないですね。

これは夜のお弁当です。
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作ってすぐに持って行くので、
唐揚げでもおいしく食べられるかなあと思って、
今日は、ザ・男子弁当です。
じゃが芋と人参とキャベツの炒め物、
玉子焼き。

学校まで車でお迎え。
車でお弁当を食べて、
相生駅で下りてもらって
そこから電車で塾へ。

受験生は平日6時間、土日は10時間以上は
勉強しましょうと言われていますが、
うちの長男はその半分に手が届くかなあというところです。

それでもうちの子にしてはとっても頑張っています。
こんなに真摯に取り組む姿を見て、
お母さんは反省してしまいます。

親のペースで振り回していたし、
どんちゃん騒ぎに近い毎日を止める度量もなかったし、
楽しそうにやってるならまあいっかなあって思っていたし。

今日は駅へ向かう車の中で、
「お母さん、反省してる。
受験するっていうことを何となくどうにかなるかなあって
考えてたけど、
そんなに甘くなかったね。
こんなことなら高校一年生の時からこういう生活ができるように
ちゃんと心構えしてたら良かったね。
気が付かなくてごめん。」

そしたら長男、
「なんで今そんなこと言うん!?」

はっとする私。
「そうやな、やっぱりごめん。
そう言うことは口に出すことじゃないね。」

大切なことは目には見えないんだよ。
分かってはいても、何だかすぐに迷うのです。
今、前を向いて心を平静に保ち進もうとしている息子に、
後ろを振り返るような泣き言を言うのは、
やっぱりお母さんとしてはいけないことなのです。

三男も、部活後お兄ちゃんと同じようにお弁当を食べて、
一緒に電車に乗って行きました。
自習室を毎日自由に使えるのです。
不思議な人だなあ。
すごく張りのある顔で出かけていくのですから。
やりたいけどできない。
自分で感情と時間のコントロールがなかなかできない。
そこへ、
いつでも来ていいんだよ、
こんばんは。
って笑顔で迎えてくれるところがあるのは
うれしいことなのかなあって。
受験生専門の塾へ受験に関係のない中学生が来たら、
先生もただただかわいい存在として迎えてくれてるのかなあと。

塾へ通うのはマイナスイメージの人も多いと思いますが、
今の教育システムでは、
受験戦争をあおる存在でもあり、
子どものセーフティーネットとしての役割でもあり、
体感してみないと分からないこともあるのですね。

次男も車内でお弁当は食べましたが、
家へ帰っていつものごとく、

ただ今熱唱中!

少し前まではピアノに熱を注いでいたのが、今は歌うことです。
何時間も歌うのです。
何かに目覚めたら、
とことんな人です。
合間、合間に部活で取り組んでいる生物図鑑の編集。
長男も関わっているけれど、
次男はPC作業が得意なので。
地味系追求型男です。

# by thuchinouta | 2017-10-02 20:15 | 今日のお弁当 | Comments(0)

あけび

朝一番で、あけびの差し入れを頂きました。
欲しい人がいたら持って帰ってもらってって。
たくさん。
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しばらくすると、
足音がして、
電気工事のおじさんが来店。

今度この近くで工事をするのですが・・・
と。

あけびに目を留めたおじさん。

さきほど頂いたものなのですが、
良ければお一ついかがですか?

いやー、いいんですか?
懐かしいなあ。
そう言えば小さいときよく食べてたなあ。

喜んでいただけるのはうれしいことです!











# by thuchinouta | 2017-10-02 19:51 | 山野草 | Comments(0)

雨やどり

秋の草木も雨やどり。

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# by thuchinouta | 2017-10-02 19:46 | 山野草 | Comments(0)

祭り幟

祭り幟 濡れそぼりたり 秋の雨

一鴻

# by thuchinouta | 2017-10-02 16:37 | haiku | Comments(0)

十津川

やっぱり晴天でした。
運動会。

地域の老若男女が一斉に集い
小さな子どもたちをかたずを飲んで見守る。
先細りが目に見えて迫っているこの地域。
児童数50人弱です。

一日の最後に連合自治会長さんが、
連合運動会の存続を願って万歳三唱!
運動会、バンザーイ!
バンザーイ!
バンザーイ!

マジでやってるの?と
吹き出しそうになりますが、
そりゃあ、そうだと思います。
こうして地域の人との親睦を深めつつ
未来をつなぐ子どもたちを眺め応援する、
空は真っ青、
雲は真っ白。

小学校のとき、いじめっこだった子も、
いじめられっこだった子も卒業しても尚何故だかこうしてやって来て、
犬猿の仲だったママ友も、
ちょっとした「障害」を持ってたが故に
親子で苦労して小学校生活を送ったおうちも、
こうして集まっておいしくお弁当を食べて。

一本しかない危ないレール
学校って、おかしなシステムだけど、
大切なものは目には見えないんだよ。
システムに負けないくらいの大切なものがある。
やっぱりそう思いました。

数々の競技の中で改めて興味深かったのは、
「戦いの陣」
紅白二つに分かれての応援合戦です。

赤白それぞれの法被と足首まで届きそうな鉢巻をした
応援団長が向かい合って高台に立ち、
その隣には大太鼓。
後ろには全学年がそれぞれ紅白の帽子をかぶって整列。

団長:炎の色は~!
集団:赤~!
団長:きらめくルビーの色は~!
集団:赤~!
団長:日の丸の色は~!
集団:赤~!
団長:勝利の色は~!
集団:赤~~~!!!

どんどんどん!
団長:赤組のー!勝利を願ってー!フレーフレー赤組!
そしてお決まりのフレーフレーコールと太鼓の音。
同じようなことを白組もします。
流行歌の替え歌のようなこともします。

そして最後に、お互いの相手を応援します。
赤組は白組を、
白組は赤組を。

赤組団長:白組の~!勝利を願って~!フレーフレーし・ろ・ぐ・み!
そして集団が太鼓と共にフレフレコール。

毎年やってて、しかもどこでもよくある光景だと思いますが、
今年は子どもが低学年なので私の出番はほとんどなくて、
改めてゆっくりと観察したわけなのです。

なかなかいいですよ。
こういうの。
声が枯れるほど大声で、
みんなで声を合わせて。
ほら貝があったらもっといいけど。
公平な戦い。
戦いってそういうこと。
あなたが幸せなら私も幸せ。
だけどどうにもいかないときは戦うんだって。
相手を尊重はするけれど、
これは戦いなんだって。
奮い立つ心と体を疑似体験する。
力を合わせて勝利を守るんだって。
陶酔する。

ブラックな部活動やスポーツのあり方を見ていたら
まるでブラックな軍隊だ、
これは国を滅ぼすわと不安になるけれど、
この応援合戦はまたちょっと違った印象を受けました。


奈良県に十津川というところがあって、
耕作地がほとんど取れなくて
昔から長く所領の空白地だったそうです。
検地したって耕作地が見当たらないほどの山間部。
だから年貢は免除しましょう、ということです。
村民は自給自足を地で行く生活を
明治維新後まで続けていました。

50以上の村がある広大な地域ですが、
君主はいなくて
村の代表者が丹念な会合を重ねて物事を決定していくという姿勢。

政治も生計も自前でやっていた。
その自治を保障してもらう代わりに
朝廷や幕府が何かあるたびに出兵して活躍し、
それを代償として
中央からの政治的干渉をお断りして自治を守るという、
独特な民主共和制を長く保っていたということです。

出兵したら必ず死者は出るのですが、
共和を守るために死は必須、
それ以外生きる術がないという枠の話ですが、
やはりとても興味深いと思います。

これを現在の軍事外交と結びつけるつもりは全くなくて、
それだとすぐに理論の段階で破綻です。

そうではなくて、自治自衛、
自由を得るためにどう身を守るか、
という民衆の立場としての心得というような。

自分の身は自分で守ると考えて、
その発展先が、自主自由。
命令系統から言えば下底、
そこに地域住民が横並びに存在するからこその自衛策。

比較をすると貧しい暮らしなのだけど、
そこに自分達なりの豊かさを一人一人が見出しているからこそ
その豊かさを隠し、守ろうとする集団心理が正しく成立する。
実際は古いしきたりやら言い伝えやらでがんじがらめだったかも知れませんが、
それなりに村社会を楽しく過す小さな工夫もたくさんあったはず。
何より、自給自足による身体的、心情的な達成感はその想像に値すると。
この分相応に満ちた生活を継続するために
いざとなれば戦う、そのために剣の腕を鍛えておく。

あくまでも政治的弱者として
戦いの心構えを持っておくということです。

重要なことは政治的に強いもの、
命令系統の上部は、
絶対に戦争はしないと誓いそれを実行することだと思います。

今はボタン一つで戦争ができる時代だから、
各地域で「剣術を学ぶ」的なことは必要ないですが、
でき得る限りの最小単位で
食料の自給、防災、娯楽、福祉、環境整備ができたら
国として強いと思います。

国を分解しても分解しても、
その地域その地域で根強い仕組みを持っている。

その小さなパーツを束ねて守る努力をするのがエリート。
エリートは民衆とは違う。
民衆は自分達の手で自主自衛自治を貫く努力をする。
エリートは、民衆の足りないところを補う、
外国を意識する、民衆のために身を捧げる。

エリートが時々失敗をするからと言って
民衆から急にエリートにはなれない。
エリートには特別な心構えが必要だから。
戦闘能力、集団心理を持つ民衆がエリートになったらだめなのです。

お勉強ばっかりしてるとか、
おとーちゃんが金持ちだったからとか、
おかーちゃんがエリートになりなさいって言ったとか、
おじーちゃんがエリートの成り損ないだったからとか、
失敗してもみんながなぐさめてくれるとか思ってたりだとか、
民衆をだますなんてイチコロだと思ってるとか、
政治ゲームってやめらんないと思ってるとか、
死ぬのが嫌だからエリートになるとか
そんなのはもちろんぐるぐるに丸めてゴミ箱へポイしましょう。

民衆の自発的な自衛と
民衆のためなら真っ先に死ぬ覚悟のあるエリート。

民衆は究極の事態の時は一致団結するけれど
それはエリートに指示されてするのじゃない。

民衆の命を守るために働き平和を誓うエリートが、
どうやったら生み出されるのかなあ。

指示されなくても自分達の暮らしは自分達で守るという
本能を忘れない民衆を維持するのはどうしたらいいのかなあ。

問題はエリートの座に着くまでに
戦いが起こることなのだなあ。

こんなことを連想させる日本の運動会って、
やっぱりちょっと特殊なのでしょうね。

それとも過疎地の応援合戦を観て
十津川郷士を思い出す私が特殊なのかな。

とりあえず、
地域のお祭りと同様、
うちのおにーちゃんたちも運動会の種目や後片付けに参加して、
過去の自分を反すうしたり
当時とはちょっと立場の違う自分を確認したり、
地域で育つ良さというものを再認識したのでした。

つっこみどころ満載のシステムですが、
なかなか捨てたものじゃないです。

学校という行政に介入してもらわずともこういった
自治ができたらいいのですが、
いったんほぼ壊滅した自治組織はなかなか戻らないし、
介入なき自治組織は時として恐怖だし。

どうもこの頃の私はうんちくうんちくうるさい感じ。
食えないことを考えてないで
堅実に生きよう。


# by thuchinouta | 2017-09-30 21:45 | diary | Comments(0)

野蛮人

あと何日寝たら運動会、
毎日そんな呪文を唱えながら眠るうちの長女。

今日は午後から小学校へ。
明日が運動会なので、
テントや万国旗張りなど、
準備のためです。

去年は保体部だったので
軽トラを出しましたが、
今日は学年委員として運ばれてきたテントの
組み立てをお手伝いしただけです。

テントの枠組みに不備があって、
作業が滞りました。
地域に三軒鉄工所があるのですが、
そのうちの一軒のおうちのかたが
持って帰ってすぐに溶接をして下さいました。

溶接から杭打ちから、
みんなで10ほどのテントを張りました。

お子さんが三人、四人といるおうちが多いので、
いったい何人目のお子さんが何年生で・・・
そんなことももう分からなくなるくらい
いろんな時を乗り越えてきて。

放送点検で校歌が流れてきました。
いやー、感慨深いです。
私はこの小学校の卒業生ではないのですが、
ちょっと耳にするだけで
じんわりきてしまいます。

この学校で、やってきたなあ。
生きてきたなあって。

話はとびますが国歌もね、
難しいことは分からないけれど
そういうことでいいと思います。
もうすぐ音楽会もありますが、
去年は国歌斉唱はありませんでした。
いろんな時を越えてこの「場」で過してきたあかし。
そこには特に思想もなくて。
共に過したなあという気持ちを歌に代えるだけで。
共に過した内容は、
時と共に変わるのだけれど、
もちろんその内容の良し悪しは、
その都度存在するとは思います。
でもそれもすぐに過去の遺物となり
コケが生えちゃうのです。

本当に未熟で迷惑もたくさんかけたし、
ひとりひとり想いは全然違う方向向いてたりするけれど
「場」がある限り
こうして一緒に同じ歌が聞ける、歌えるんだなあって、
ありがたいです。
まさか私がこんなふうに殊勝に思うときがくるなんて。

テントは各地区から持ち寄ったり学校の物を使ったりして、
それぞれのテントの特徴などが違っていて、
それを写真に撮って来年の参考にしようと
言い出した人がいて。
お祭りのときもそう。
お飾りやら何やら写真で次年度に残そうって。

司馬遼太郎の書いた本の中に、
昔の中国の思想として
文明人と野蛮人という言葉が出てきます。
文明人は過去を意識して、現在のことを全て記録する。
野蛮人は記録しない。
そんなことだったと思います。
後世を意識するかしないかということ。

でもまあ、
こうも何でもありの時代になっては、
膨大な「書き残し」から再び真実を選り分け見つけ出さなければならないのですから、
いっそのこと何もなしで、
それぞれの時代にまるで初めて経験しましたというふうに
ことを進めても、
結局混乱は同じかも知れないですね。

本物の木の葉のような不思議な虫。
そんな擬態生物は数多くありますが、
後世のために遺伝子に「書き残し」されてきた結果なのですね。
文明虫だ。

人間社会も文明虫のように、
ほんとに上手に生き残っていくための記録を
残したいものですね。

過去の種々様々な記録が間違いだらけならば、
いっそのことそんなもの捨て置いて
野蛮にその都度すがすがしく生きたほうが
本来の進化をとげられるかなあ。

もろもろの準備の最後に、
明日の運動会で
来場者が遊具で遊んで事故が起こらないよう
全ての遊具をビニールテープでぐるぐる巻きにしました。

白い雲たなびく秋空の下、
体を動かすことの喜びを味わうひととき。
細部までキチンと計画立てて、
みんなでめざせ、一致団結!!

・・・だけど、鉄棒とか滑り台とか、勝手に使ったらダメですよ!
体を動かすのはいいことですが、
イイコダカラ(!)決められたとおりにしましょうね!
体を動かすのはプログラム通りにするように、決まっていますから。

飼い慣らされた私には
校歌は感動的に聞こえるし、
みんなと一緒に嬉々として遊具にテープ張りもするのだけれど、
野生の本能が、
やっぱりちょっとばかし、顔をのぞかせる。
「ま、こういうシステムだからね、学校は。」

だけどそれなりに、楽しいのだよ。
明日は晴天!


# by thuchinouta | 2017-09-29 21:38 | diary | Comments(0)

茶道教室

今日は久しぶりに地元中学校の茶道教室でした。
三年生。
去年お店にトライやるウィークに来てくれた子もいました。
落ち着いたクラスでした。
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やはずすすき
しおん
みずひき草
しもつけ
白萩
秋明菊
段菊

茶花をこうしていけることのすごいところは、
毎回先生の家の庭から
この花々が摘んでこられるということです。

一年を通して、
庭の草木を気に遣り、
見ごろの頃を想像し、
教室に季節の花を生徒のために活けること。
忙しい毎日ですから、
庭は、手入れの行き届いたときもあれば
自由奔放に花任せのときもあり。
だけど季節のめぐりは正直で、
そのありがたさを手折るのですね。
それをもう何十年も続けているということが
またすごい。
とうてい私など、
足元にも及ばないのです。
野放図であることと
人を少しばかり「ご丁寧に」もてなすことの架け橋を
そのどちらに偏ることなく
自然体で続けている・・・。

それで、先生。
私今まで先生のお年を聞いた事がないのですが、
先生はいったいおいくつですか?
あら、そんな、それはだめですよ。あはははは。

あははははですまされちゃった。
その後ろで先生のお姉さんが、
「あの人は絶対に歳を言わないの。
もうすぐ○○にもなるのにねえ。」
と指で蜂の字ダンスのような動きを。
「あ、あの子いつも私に余計なことは言わないで!っていうから・・・ないしょね。」
お年を召された先生も、
お姉さんの前ではいつまでも子どもみたいで、かわいいです。
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お菓子の名前は
ヨワイ草

菊の別名だそうです。
よわいとは、齢、のことだそうです。

茶道の先生に私は、
「飼い慣らされて」いて、
私はその安堵こそが
このボランティアを続けている理由だと
思います。

茶道とは何であるかは、
ひとり孤独に、
感じればいいわけなのです。

飼い慣らされたい人に飼い慣らされるのはいいのだけれど、
ときに相手を選べないことがあって、
子どもなどは特に、
相手が選べないから、
これはもう、
将来行き着くべきところを見極めるための
ちょっとした試練と心得るべしですね。

こんな一日を送ったこともあり、
今日の私の頭の中は、
先ほどの記事のようになったというわけなのです。


茶道教室で一緒だった
神社カフェのかたが、
「箱庭さん、三木家の観月会へも来てくださいね」とのこと。
10月4日(水)17:30からです。
私もテントの中でお茶を点てる係りで詰めています。
汗をふきふき、200回、
みなさんでシャカシャカしますので、
どうぞいらして下さいね。


# by thuchinouta | 2017-09-28 23:06 | 茶道教室 | Comments(0)

星の王子さま

あとになって、
あれは良かったなと思うことがあります。
本のことです。

子どもの机周りを片付けさせるとき、
さりげなく、
my bookスペースを作るのを促すことです。

以前子供たちは
幸いなことに、
幾人かの大切な人から、
その人が大切だと思う本を
頂きました。
数にするとほんの数冊のことですが、
「これは自分の本だ。特別な存在だ。」
と思うのですね。
模様替えをするたびに、
とにかくその数冊は、
身近な場所に
いつも目に付く場所に
並べられることになるわけです。

好きな本は何ですか?
今まで感動した本は何ですか?
読書感想文を書きなさい。

そうしたときに、
すぐに思い浮かぶ本があることは幸せです。
じっくりと読み込むことは必要ないのです。
その本と自分がつながっていると
感じることが大切なのですね。
生きる指針になるわけです。

うちの子どもたちのmy book、
その中の一冊は、
「星の王子さま」でした。


星の王子さまは砂漠でキツネに出会います。
王子さまはキツネに一緒に遊ぼうと誘いました。
でもキツネは答えます。
「きみとは遊べない。
だって僕は飼い慣らされていないから。」

この
「飼い慣らされていない」
という言葉はとても印象的です。

そしてキツネは言います。
「お願いだから、ぼくを飼い慣らして。
そしたらぼくの毎日は太陽のように光り輝くよ!」

飼い慣らすということはtrust。
信頼関係にあるということです。

王子さまはキツネに出会う前に
あるものを飼い慣らしました。
正確に言うと、
飼い慣らそうとしました。
バラです。
わがままなバラのお世話をして、
バラのために心を砕いて、
とてもたくさんの時間を使いました。

でもうまく飼い慣らすことができないので、
バラのいる星から逃げ出しました。
そしてキツネに出会います。

キツネは、飼い慣らされると
自分が光り輝くことを知っている。
なのに、どうして今まで飼い慣らされていなかったのでしょう?

飼い慣らされるという言葉が、
何となくマイナスイメージなこと、
思いませんか?

でもキツネは飼い慣らされたい。
誰かに必要とされ、
誰かを必要としてみたい。
たとえ、野生動物としての本能を忘れてでも!
そんな気持ちが伝わってくるような気がするのです。

本当は生物としての本能と勘で孤独に生きるべきものなのに、
愛し愛され、
生きる価値を見出したい。
しかしそれをしてしまうと、
何かが危険だとも思っている、
ような気がしませんか。

だからでしょうか、
キツネは言います。

「大切なものは、目には見えないんだよ。」

自分の大切な物をいつも気に遣りお世話をし、
数ある中の、
ただそれだけを、
自分の「対象物」として慈しむ。

その時の気持ちや行いは、
過ぎてしまえば目には見えない。
友達になった王子さまとキツネ、
美しく成長したバラ、
そんなことが大切なんじゃない、
そうなるときの目に見えない心の動き、
お互いを思いやる行いが
大切なんだよって。

じゃあ、そこまで知ってるんだったら、
今までだって、
いつだって、
キツネは誰かに飼い慣らされていても良かったのに。

キツネは飼い慣らされたらウソが始まることを
知っていたのかなと思います。

信頼は長くは続かない。
仲間を持てば、
本能のおもむくままに生きられない。
それは野生動物としての死を意味する・・・。

現代社会の組織、忖度、腐敗。
飼い慣らすことの有意性、
飼い慣らすことの危険性。

日本固有の「道」。
茶道、華道などが思い浮かびます。
信頼関係を築き上げた組織で生きることと、
その道を一筋に体感、体現していくこととは比例しないことが多くあるような気がします。

本来ならルールのない野放図なものを
意識的に形式立てることで(野生を飼い慣らすことで)
その物、その行為と人との相対芸術を生み出します。
その相対性が人の行いとして評価されるところなのだという
意義を忘れずに貫くのが、「道」なのかなあ?

相対性は目には見えない、一番大切な部分です。

この花を、あなたに。
ただ差し上げるだけでは心が収まらない。
あなたに、こうして、ああして、こんなふうに、
それでも足りないけれど、
この花を、どうぞ。

あなたに、湯茶を差し上げたい。
言葉も出ないくらい大好きなあなた。
どうしたらこの気持ちが伝わるでしょう。
こうして、こうして、このように・・・。
どうぞ一服お召し上がり下さい。ペコリ。

でもそのうち、
花は特別に栽培したものでなくちゃとか、
茶碗はひゃくまんえん以上じゃなきゃ失礼だとか、
あの人はいつも同じ着物だとか、
バラみたいになってしまう。

でもあるセンスを持った人々は、
これは何かがおかしいと、
本来の意義を見つける旅をします。
道を、歩みます。
でも、なかなか難しいのですね。

王子さまだって、バラから逃げ出しました。
でもキツネの話を聞いて
やっぱりバラを愛することを続けたくて、
今度は飼い慣らしたキツネの元を去りました。

キツネはまたひとりぼっち。
そして王子さまは何かに見舞われ姿が見えなくなります。
つまりバラとも逢うことはなくなりました。

サン・デグジュペリは、
自分自身、結局答えを見出せなかったのでしょう。

結論はやっぱり分からない。
だけど王子さまが旅をすることこそが大切なのかな。
誰と出会ってどう感じたか。
道を歩もうとすることが大切なのかな。
何を極めようとし、何をしたか。

野生でいることは孤独。
だけど真実。

飼い慣らされることは幸せ。
だけど腐敗を招く危険性。

あのね、
何が書きたいか、
分からないで書いています。

「飼い慣らされる」ことについて
考えることは、
とても有意義だということです。

サン・テグジュペリは
私たちのお友達です。
すぐお隣にいる、
ちょっと繊細なおとこのこ。

子どもには言うのです。
「キミたちは、いい意味でも悪い意味でも、飼い慣らされている。
そのことを時々考えてみてね。」って。

机の上に、
星の王子さま。
そうしていると、
将来こうして親子で会話ができたりして、
ちょっと幸せかも知れません。


# by thuchinouta | 2017-09-28 21:20 | book | Comments(0)

デビルなちびども。

今日は山野草展のDM作成をしようと
午後にうちへ帰ってPC作業をしました。

一通りできたので、お店に戻りました。
ちょうど小学校の下校の時間でした。

下を向いてとぼとぼ歩いている女の子がいました。
私は車のスピードを落としました。
そのずっと先に、小学生の集団がいます。
うちの長女もその中にいます。

「あれー?
うしろでひとりで歩いてる子は、誰?」
と車窓からたずねると、
声を束にして、
「○○ちゃーん!」
と答えるのです。

「なんで○○ちゃんだけひとりなの?」
とたずねると、
ニタニタしながら
「だって○○やからー!」
「アハハ、○○○やもんー!」
と、何か聞き取れないようなことを
一見楽しげに口にする子どもたち。
その後ろでうちの長女が、
何だかバツが悪そうに顔を横に向けて立っています。

「なんだかさみしそうだったけど?
それにひとりで歩くのはどうなの?
誰か、走って戻って、
迎えに行ってあげて!」
と言うと、
みんなが、あなたのお母さんが言ってることなんだから
あなたが行きなさいとでも言うように、
うちの長女の名前を口々に呼ぶ。

長女駆け出す。
○○ちゃんに追いつく。
一緒に二人でとぼとぼ歩く。

その辺りは、車を発進させたあと
バックミラーで様子を見ていました。
二つの影がひとつになったときに、
アクセルを強く踏みなおしました。

時々、うちの長女も泣いて帰ってきます。
あら?
と思っていたら、
あそぼーって、
お友達が誘いに来てくれて、
急いで涙をふいて、
ほっぺたを真っ赤にさせて
急に笑顔になって駆け出していきます。

今日のヒロインは別の子で、
うちの子はその他大勢の同調圧力派。

毎日こんなことが繰り返されているのですね。
小学生にはこの学校の行き帰りが
一つの抜け出られない社会であって、
私には車ですーっとひといきの距離だけど、
あたかも永遠に続くんじゃないかというくらいの時を
過しているのでしょうね。

情緒豊かで優しい子。
今はあまりそんなことは求められていないかな。
競争に負けない強さが優先されるような気がしています。
バランスの問題でしょうけれどね。

毎日の生活と、
時代の風潮の中から、
どうすればうまく生き残っていけるか学び取って、
センスを磨いていく。

このデビルなちびどもも、
そのうちしれーっとお兄さんお姉さんになって、
私の出勤途中なんかに出会っても、
おすましした顔で、
「あ、おはようございます。」
とか何とかよそ行き顔で言えるようになるのですね。

まあ、勝手に何だかやっとくれ。
私はこうして眺めて楽しんでるから。





# by thuchinouta | 2017-09-27 01:36 | diary | Comments(0)

2017秋のツクリナさん

真鍮のツクリナさんが
秋の作品を持ってきてくださいました。

米粒のアクセサリと
おにぎり型のちびトレーです。

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わたし米粒イヤリングは持ってるから
今回はおにぎりイヤリングかなあ。

季節感とお米感がうれしいです。
このうれしさは身に付けるともっとうれしくなります。

# by thuchinouta | 2017-09-26 14:41 | gallery土の詩 | Comments(0)

白鷺寄席

落語会のご案内を頂きました。

こころ家遊人さん。
いつもお店に遊びに来て下さるのです。
ぜひ寄席に伺いたいと思うのですが、
日程を見たら・・・
10月29日(日)
14:00~

とのことで、
この日はちょうど、
私は高砂図書館でうたがたりの
公演が同じく14時からなのです。
すごく残念です。
これから私も落語絵本をしていきたいなと
うっすら思っているので、
ぜひ聞きに行きたかったのです。

これを読んでくださる皆さん、
姫路の七福座へ
もし10月29日の午後時間が許すなら
ぜひ足をお運び下さい。
それでまた感想教えてくださいね♪
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# by thuchinouta | 2017-09-26 14:35 | diary | Comments(0)

はらぺこあおむし

今日は三人とも元気に学校へ行きました。
と言うのも、三男が1週間あまりお休みしていたのです。
去年もそう言えば1週間休みました。

病気ではないのです。
お店のお手伝いをしたり、
本を読んだり、
ゆったり過していました。
月曜日には行くと言っていました。

去年はちょっと心配しましたが、
今回は特に大きな出来事でもないような感じでいました。

今日久しぶりに学校へ行ったわけなのですが、
帰宅後はとても楽しそうで、充実した顔をしています。
部活もしてきたみたいです。

そういう姿を見て
私は「はらぺこあおむし」という絵本を思い出すのです。

日曜日の朝に生まれたあおむしが
月曜日から金曜日までいろいろな食べ物を食べて大きくなっていき、
土曜日には食べ過ぎておなかをこわすのです。
そして日曜日にはっぱを食べておなかの調子を直して、
さなぎになって眠り続けて、
目覚めたらきれいな蝶になっているのです。

夏休みも名ばかりでスタディーサポートや部活で、
実際は10日ほどしか休みがなかったし、
夏休みの宿題を仕上げることのストレスで
頭が休まるときもなかったかな。

夏休み後学校が始まって、ほっとしたら
いーちぬーけた!と思ったのでしょう。
一日、二日は涙がぽろりで、眠り続けて、
そのあとは元気にのんびり過していました。

わたし親ばかみたいですが、
三男はすごく心が健やかで大らかだと思うのです。
身を守ることができるんだなあと。
危険を察知して、心の声に従うことができるのだなあと。
ただ散髪に誘うと、
平日に散髪へはぜったいに行けない、と言うのです。
散髪屋さんに学校を休んでいることを
話するのが後ろめたいからなのですね。
適当にうそを言ったりする余裕がまだないみたいです。
愚痴を言ったり、悪い行いをしたりという
アウトプットの仕方を知らないので、
ただただ心が満たされるのを待っている。

はらぺこあおむしが、
欲望のままにいろんなものを食べて、
あれれとおかしくなって、
最後にはっぱを食べて調節するみたいに、
ゆっくり休んで調節するんだなあと。
中学二年生。
ちょうど心も体も大きく変化するときで。

去年1週間お休みしたあとも、
すごく楽しそうに学校から帰ってきたし、
今日もそう。

休んでいてどう思われてるだろうなどとは
考えないみたいですね。

先生には三男のこと、
元気ですが当分お休みしますとお伝えしていました。
先生にはたぶん、分からないと思います。

月曜日には行くと言っていますとお伝えすると、
「あ、月曜日にはがんばって行くって言っていますか?!」
とおっしゃるので、
「がんばって・・・?」
とつい私。
がんばって学校へ行くのかな?
行こうと思うから行くのであって、
がんばって行かねばならないくらいなら、
お休みを続けるわけなのですが。
いやいや、そんな重箱のすみをつつくようなこと言ってちゃいけない。
「はい月曜日は行くみたいです。」

「そうですか!
じゃあ、休んでいた分の宿題をどうこなしていくかは
さっそく月曜日に本人と相談させてもらいます~。」
「え、休んでいた期間の宿題って、イキてるのですね?」
「え?はい!みんなやってますから。」
「みんなやってる・・・から・・・。
みんなというか、うちの三男の学力を心配して、言ってくださってるのですよね?」
「え?はい!みんなやってることはみんなやると言うことで!」
「えっとですから、宿題は学力を定着させるためにあるわけで、
個人個人程度が違うわけで、
宿題と言っても内容も分からずにこなすだけになっても意味がないですよね?
・・・・・・というか、また様子を見ましょうか。」
にこっ!

と電話を切りました。
これからもたんまりと宿題が出る上に、
1週間あまりの宿題も上乗せ。

これじゃ
借金地獄だーーー。

この先生とのこと、
今年度始まってしばらくしてから校舎裏で偶然出会って、
初めて立ち話をした日のことを思い出します。

「こうしてお話するのは初めてですね、
どうですかうちの子何とかやってますか?」
「ええ、友達とも仲良くやってます。
ただ・・・(三男をギロリ)宿題がねえ。
漢字の書き取り200字帳を使わないといけないところ、
三男さんだけ150字帳を使ってるんですよ。
だから一日2ページの宿題なので、
3ページしてこないといけなんですよ。」

私の頭の中では
150という数字は、真っ赤なイチゴ。
200という数字は、青く透明に流れる大きな川。
先生の話を聞いて私には、
とうとうと流れる川に
真っ赤なイチゴが流れていく様子を見た
吉良上野介がすごく怒っている姿が
浮かぶわけなのです。

むむ!
川にイチゴが流れていたら、なぜいけない?
・・・・・・殿中でござる!
後ろから羽交い絞めにされた裃姿のわたくしこと浅野内匠頭。

初対面の大人同士の会話で漢字ノート(そのノートは私が買った)が何文字だとか、
学校をまとまった期間休んでいるときに一番関心を持ってくださるところが「宿題」であるとか、
私は浅野匠頭の気持ちがよく分かりますよ。
三男が、学校に息切れするのもよく分かりますよ。
それで違和感のない人もいれば、
うちみたいに、家族そろってそういう発想とは逆のタイプもあって。
大切だと思うポイントが人それぞれ違うのでしょうね。

じいじいとばあばあは、三男が休んでるとき、
「学校?そんなもん、行かんでもどないもあらへん。」
と倉庫の片付けや何やかや用事を頼んで楽しそうに一緒に過してくれてました。

性悪説と性善説という言葉が浮かびます。
子どもは放っておいたら怠ける、
怠けるのを許してしまうと取り返しのつかない悪人になってしまう。
だから取り締まる。
私はどちらかと言うとやはり孔子の性善説が好きだなあと思ってしまいます。
子どもは、できたら一生懸命何でもしてみたいし、
厳しく導かれたりもしたいし、
面白いこと学んでみたい。
継続は難しいけど、そこは集団生活の力が発揮され。

結局のところ、
学力があいまいなまま宿題をいやいや続けても仕方がないので、
かと言って学校で面倒みてくれる訳でもないので、
長男の通う塾へ三男も行くことにしました。
どうしてそこへ飛ぶの?と思われるかもしれませんが、
結局のところ、そこなのです。

授業のスピードが速くて、
遅れたら取戻しが難しく、
宿題をこなすペースが乱れるとこれまた雪だるま式に膨れていって
未提出だと吊るし上げ。

自分で生活リズムを整えられたらいいのですが、
うちは兄弟が多く、
いつも不可解かつ突発的な「オモロイ」ことが発生し・・・。
なかなか時間のやりくりが難しいわけなのです。

塾に通えることについては、
やはりうれしいみたいです。
ほっとするのでしょうね、
自分でも勉強時間を確保したいのにできないでいることに
失望しているみたいだから。
とうぶんこれで、
人並みまで学力を持っていけたらと思います!

ああ、働けど働けど・・・。
根本的に、私たち、何か歯車が狂っているのですよね~。
仕方ない。
どうにかこうにか、していかないと・・・。

非常識な親を持っていることについては
これはごめん、
あきらめて下さい。

*いくら非常識だと言っても、こういうところにこんなことを書き記すのは
あまり良くないと思いますが、
未来の自分へ過去の自分の過ちを書き残すことと、
それぞれの家庭でいろんなことがあるんだよってお知らせすることで
何かを考えるきかっけとなればいいなと思って
先生にも子どもにも申し訳ないのですが書くのです。
誰もが良かれと思っているわけなのですが、
全ての人の善意のエネルギーが最善有効に作用する結果となるような
「しくみ」であることが、
一番いいことだと、思います。

ところで「はらぺこあおむし」。
こう考えるとやはり奥の深い作品ですね。
ジャンクなものを目いっぱい食べても、
自然の本能で葉っぱを食べて浄化して、
たっぷり眠って蝶になる。
さなぎの頃が、一番大切なのかも知れないですね。

人も、そうなのでしょうね。

ただいろんなもの詰め込みすぎて
本能が作用するすき間が
無くなったりしたらさみしいですが、
何かあったとき、
自分だけが悪いんじゃないんだから、
ちょっとゆっくり自分を守ることも
いいと思います。
そこからまた、
自分の足りないところを考えていけばいいんじゃないかな。

次郎は、三郎の様子を見て、
中学生の頃の自分を思い出すのか、
ちょっと何というか、
反復作業ができるという点で良いみたいです。



# by thuchinouta | 2017-09-25 21:14 | diary | Comments(0)

北斎の娘

先日の金曜日はじいじいの家で
NHKドラマ「眩(くらら)~北斎の娘~」を観たのでした。

色彩豊かな着物のチョイスに目を奪われました。
散らかっている北斎の家に親近感を覚えました。
光を絵の拠りどころとすることにも共感しました。

光が物を照らすとき、
物質と物質の境目を隠しようもなく際立たせるのですね。
これにより、私たちはその物の存在を否応なく知ることになります。
むき出しにされた「その物がその物である事実」が
とてつもなく心を打つのだと思います。

人の行いは人の心が行っていますが、
光に照らし出されると、
物体として確実に浮かび上がってきてしまう。

いくら息をひそめていようとも
照らし出されるわが身は隠しようもなく「そのもの」である切なさが、
光にはあって。
女性は特にそんなことに敏感なものかも知れないと
思うのです。

絵を描くことには憧れがあります。
母が絵を描いていたからです。
姫路では小野勉さんの教室へ通っていました。
いつか日本画を描いてみたいと、
家には顔彩や絵筆が転がっていました。
いつか私も描くのかなあと思って、
一時期色鉛筆スケッチに夢中になったことがありますが、
すぐにやめてしまいました。

長女がお腹にいるとき、
もうだめかというところまで来てしまい、
寝たきりの生活になりました。
半年くらい布団で静かにしていました。

テレビもないしPCも触らないし、
ただひたすら安静にしていました。

そういう時ってご飯を食べる、お風呂に入る、
そんな一つ一つにとっても時間がかかって、
基本的な生活だけでめいっぱい
一日が過ぎていくのですね。

でもずっと布団にいるから、
手だけは動かすことができるなあと思って、
絵を描くことにしました。

伊藤若冲の絵を見て、
絵の中のほんの一部、
おおでまりの花の部分だけをクローズアップさせて
描いてみようと思いました。

茶色い和紙を半分に切って縦に繋ぎ合わせて、
大まかなレイアウトをまあるまあると描き込んで。

そこからが毎日の修行の始まりです。
顔彩絵の具を溶いて
白い小さな点を無数に描き込むのです。
ポロンと転がるような点にしたかったので、
筆を使うと滑らかになりすぎて、
結局割り箸を使うことにしました。

多めに絵の具をつけて、
ぽとんと落とし込むように割り箸を紙に垂直に乗せて。
その白い丸にこれまた極小の光の影を青だったか何だったか、
爪楊枝の先で一粒一粒描き込みます。

無数の小さな白い丸を集めてそれが一輪の花のように見えてくると
とてもうれしく感じるのでした。

それを何度も繰り返して
たくさんの花を描きました。
葉っぱも程よい位置に配置しました。

一日のうちに、
集中してできる時間も限られるので、
集中がとぎれたら
その日できたところまでの絵を眺めて過しました。

一応これで完成したなというとき、
やっぱりほっとしました。

なんてことはない、
ただひたすら丸を描き続けるだけなのです。

結局長女は無事に生まれたのですが、
そうなれば、
そんなに根詰めて絵を描いたことなど忘れてしまうのです。

ただせっかくだし、
お店の蔵に貼っていたら
お客様が、
「これあじさいね、いいわね。
売って下さるの?」
とおっしゃるので、
「これは私が描いたもので、
そしてこれはあじさいではなくおおでまりで、
ただ飾っているだけです。」
「あらそう、残念ね。」
ということになりました。

そのお客様がまた別の日に来店され、
「気が向いたらこれ値段つけておいてね。」
とおっしゃるので、あははと笑って、
それは冗談だと思いました。

そしてまた来店されたとき、
その方のお母様が本当にあの絵が欲しいと言っていて、
プレゼントしたいから本当に譲ってくださいとおっしゃるので、
そこまで言ってくださるなら差し上げますと
持って帰っていただきました。

その後また来店されたときには、
表装を頼んでしてもらったということで、
ちゃんと掛け軸になって生まれ変わった姿を写真で見せて頂きました。
やっぱりあじさいとして楽しみたいとのことで、
あじさいの頃に、ご自宅に飾ってあるところも
見せてもらいに伺ったのでした。

私の、あのときの、
何が何だか分からない漠然とした不安を、
美しいものへ昇華する作業が
ある意味実を結んだような結末になりました。

今考えると、長女へプレゼントすれば良かったなあと思うのですが、
その時は何の考えもなく、
そんなに喜んでもらえるならと思ったのでした。

またいつか、
長女が大きくなったら
そんなおはなしでもしようかなあと、
このドラマを観て思ったのでした。



# by thuchinouta | 2017-09-24 22:42 | diary | Comments(0)